「自分なんて・・」から、「自分だから」と思える人生へ
いつも周りから、「早くしなさい」、「どうしてできないの」、「〇〇君を見習いなさい」と言われ続けてきた。
自分はのろまなんだ。自分はダメな人間なんだ。自分は落ちこぼれなんだ。
後ろ向きな考えばかり脳裏を占めて、前を見ることも上を見上げることもできなかった。
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ウィリアム・ジェームズの名言「心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる」が心に響く。
私が今の私になれたのは、話し方教室という大人になってからでも一から人付き合いを学べる場に出会えたから。
自分では「教室に行く」という行動の先に、自分をはじめて認めてくれる人たちがいて、その人たちによって心を変えてもらったと思っている。
まず「心を変えないと先に行けない」と思うとしんどくなる。
スタートは何だっていい。どんな些細なことでもいいと思えたら、ちょっとは楽になれる気がする。
「誰かに自分からあいさつした」「店員さんにありがとうと感謝を伝えられた」「道端に落ちていた空き缶を拾った」
どうしようか迷った中でその行動を選択できたのなら、迷いに打ち勝って決断できたということ。ものすごい進歩じゃないか!
「よくやったな」って自分を褒めてあげようよ。その積み重ねが心を変えてくれる。そして、やがてそれが習慣になって人格も運命も変わってくる。
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今でも、人のことを「あの人すごいなあ。それに比べたら自分は…」と思うことはしょっちゅうある。
だけど、ただ人を羨んでいた昔と違うのは、「あの人すごいなあ。きっと色んな努力をしてきたから、今あんな風にいられるんだろうなあ」と相手を尊重できること。
「じゃあ、あの人になくて私にある魅力はなんだろう?私だからできることはなんだろう?」と考えられることかもしれない。
たとえば、経験も知識も豊富で専門的なことをわかりやすく伝えられる人がいる。
同じ土俵に立っても、私では相手にならない。
だけど、あまりにもすごすぎるが故に遠い存在に思う人もいる。専門的なことは敷居が高い。もっと身近なことが知れたら十分と思う人だっている。
私は、威圧感がなく敷居を低く感じてもらえたり、身近な存在に思ってもらえる。当たり前に光を当てるだけでも、それが日常に活かせる。楽しい、嬉しいと言ってくれる人もいる。
あれもこれもと欲張った宝石強盗が、逃走中に宝石の大半を落とし、瞬く間に捕まった話を聞いたことがある。
人生も同じで、あれもこれもと欲張ったら、せっかくの自分だけの魅力までどこかに落としてしまうのかもしれない。
自分にないものを求めるより、自分にあるものを磨く方が、豊かに助け合ってみんなと楽しく生きていける気がする。